今年の春、私は28回目の誕生日を何事もなく迎えた。それは別に”無事に”という意味ではなく、友人も少なく、少し前に彼女とも別れた私の誕生日には、毎年来る実家の母親からのライン以外はお祝いも祝福も、本当に何事もなかったという意味だ。(お母さんありがとう・・・)
そんな誕生日は少しさみしくもあったが、自由の身になった私は「ここだ」とばかりに、私は私へとあるプレゼントを用意しようと考えたのだ。
それは、「包茎手術」だ――――――
ズル剥けなイチモツをください
もし私が、某歌ネタお笑いコンビのネタに出てくるような、ギターを掻き鳴らす泉の神に遭遇したら、あらゆる堅実な願いを退けてこの願いを託そうと思っていた。
あのどぶろくのような名前のコンビはなかなか男の心を掴んでいるな!と感じる。
「歯がゆい」
私のあらゆる性生活を一言で表そうとすれば、最初にこの言葉が浮かんでくるのだった。部屋で一人で事に耽る時も、もういない恋人とのセックスの時もいつもそうだ。
私は所謂、仮性包茎だ。包茎の中でも最もポピュラーな包茎会の王道、そして日本人男性の約8割がこの仮性包茎だといわれている。
普通の人は仮性包茎で悩む必要など無いし、また当事者も必要性を感じないというのが、ネットの意見や数少ない友人の声を聞いてみた感触であった。
ではなぜ手術を決意するに至ったか。それは、私の不感と遅漏が余った皮に起因していると考えたからだ。
全部、皮のせいだ
今思えば、記念すべき初セックスに臨む場面でもその弊害は発揮されていた。それは大学2年生のことだ。
「あれ、あんまり気持ちよくないぞ・・・」
初めてホテルを利用し、これから未知の領域に踏み込もうという緊張がそうさせたのなら、これもまた初々しい思い出の一つにでもなったのだろうが、そうではなかった。
私がいくら懸命に腰を前後に動かしたところで、私の息子はそれまでのオナニーのように絶頂に向けて滾ることはなかった。
余った皮がカリ首周辺に集中している性感帯に覆い被さり、擦ることができなかったのだ。まるで皮オナ状態だ。私は元々オナニーでは、皮オナで快感を得るタチではなかったのだ。
というのも私は高校生時代に、ネットで見た「膣内射精障害」の記事に強く影響を受けていた。その記事というのは、「皮のうえからしごく自慰行為に慣れてしまうと、本物の女性器での刺激では快感が得られず膣内射精障害になる」という内容であった。
当時はそれがとにかく気になってしまい、他にも様々な記事を検索したが、やはり「皮オナは危険」、「皮オナは皮が伸びる」、「ついでに足ピンも絶対だめ」、「一番やばいのは床オナ」というような内容のサイトがいくつも見つかった。やはり特殊な、自己流の一人遊びを極めてしまうと本番で困ることになるのは明白なようだった。
わざわざ強調した後ろの2つは蛇足に思うかもしれないが、今思えば足ピンと床オナの危険性について触れているサイトの正しさを私は知ることとなる。
後々知り合った私の大学生時代の友人は、セックスの時は騎乗位でしかイケないという難病を患っていた。その友人は足ピンの常習犯だった。足ピンに慣れてしまって、足ピンできる騎乗位でないとイケないということだ。道理で危険視されているわけだ。
そのような不憫な目に遭っている友人の経験も裏打ちになり、足ピンと床オナ、ひいては皮オナには、本番で戦えなくなるという危険性を孕んでいるという情報をより一層信じることとなった。。
いろいろネットで調べてみた高校生の私は、皮を剥き、ローションのようなものを用い、より本物のセックスに近い感覚をたたき込むため「ローションオナ」に専念するようになった。しっかりと亀頭を剥き、カリ部分も刺激するやり方だ。
最初は先端が敏感過ぎてままならなかった。”気持ちいい”というよりは”くすぐったい”という感じだった。それでも諦めずにやりこむことで、快感を得られるようになっていった。
これでいつセックスの機会が来ようと、万全の状態で臨める。そう思っていた。
不発弾になった息子
そんなイカした私のイチモツは文字通り不発に終わった。
そのまま腰を振り続けることに意味を感じられず、行為は終わりとなった。いままで経験したことのないような空気が、私を包み込んだ。脱いだ衣類に手を伸ばしているときに、相手から謝られる始末だった。
”正しいやりかた”と称し、良かれと思ってやっていたことが、まさか逆に自分を苦しめることになるとは思いもしなかった。
しかしこれは今考えれば当たり前のことだった。自慰では手を使って皮を剥いて、反対の手で上下運動ができていたが、本物の女性器でそんなに器用なことができる訳がないじゃないか。
その後も、新しい彼女ができるたびにこの遅漏、不感に悩まされることになった。行為にかかる心労や体の負担も蓄積していき、それが原因の一つとなり、結果的に別れてしまった彼女もいた。
このままセックスに対して不安を抱えたまま生きるのかと思うと苦しく、また新しい彼女ができてもギクシャクしてしまうんじゃないか。
そんな思いを払拭したい一心で、今回また3か月前に彼女と別れた私は、包茎手術で余った皮を除去することを決心したのだった。
これは、そんな私のある意味では人生を掛けた、それでいて密やかな「やってみた」記である。
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